(無題) 投稿者:AB |
量子力学はそれほど難しいものではないので、おそらく高校生でも
教えることは可能と思われます。 (哲学的なことは除外しますが。)
ただ理系の比較的優秀な人が対象になるでしょうが。
やはり多くの人が古典力学しか教わっていないので、考え方が
決定論的で困っています。 (もうニュートン力学は過去のものなのだが。)
それに高校生はパズルみたいな問題解きばかりをしている
ものですが、あれは時間の無駄ではないかと思われます。
それよりは理論を覚えた方が身につくはず。
所詮、自分で考えるよりも覚えていることの方が多いものです。
数学や物理もどちらかといえば、暗記ものといえますね。
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(無題) 投稿者:AB |
私の考えでは、多くの人と議論等をするよりも、一人で真剣に
思索を深めた方が研究として良いのではないかと思われます。
他人に指摘されるようなことは、大概自分でも気がつくのでは?
結局、それは自分でもよく分かっていないということに尽きる
と思われます。
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ABさんへ 投稿者:phonon |
こんにちは。 >量子力学はそれほど難しいものではないので、おそらく高校生でも
>教えることは可能と思われます。 確かに能力的には不可能ではないと思います。
ただ、数学的な困難もあるのでそう簡単にはいかないと思います。
時間があるという事と、どう勉強するか教えてくれる人がいれば
可能だと思います。 >私の考えでは、多くの人と議論等をするよりも、一人で真剣に
>思索を深めた方が研究として良いのではないかと思われます。
よほど優秀な人を除いて、それはかなり厳しいと思います。一つに
一人よがりになる危険性がある事。また、discussionを行う事で自
分では気がつかなかった事がわかる事も十分あり得る事。これは、
能力が人それぞれ異なるわけですから。自分で全部気がついてしま
うような人は、それはすごい事だと思いますけど・・。
それと、研究はある意味競争なので、スピードも要求されます。情
報の交換をよく行う事は、自分の位置を確認する上でも重要ではな
いでしょうか?そう僕は思います。 もちろん、個人のスタンスもあるので、絶対とは言いません。
僕ならdiscussionは大切にするでしょう。それに、discussionっ
て面白いので・・。(^^;)
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野田さんへ 投稿者:phonon |
こんにちは。 >僕の専攻は、表面科学です。主に単結晶表面を
>扱っています。 表面物理は今、注目度が高いのではないですか?
将来性があると聞いています。 >その通りですね。私は、いまだに蜂の巣になっています(;;)。
僕も同じく蜂の巣です。(汗) お互い頑張りましょう〜♪
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phononさん 投稿者:AB |
>数学的な困難もあるのでそう簡単にはいかないと思います。
確かに高校の数学では理解は困難ですね。 (しかし概念的なことは教えられると思いますが、ただ問題は解釈
問題が解決していないことでしょう。) そのためには、まず高校の数学のレベルを大学の教養程度まで上げる
必要があると思います。 しかし、そのためには中学の数学のレベルを高校の数学のレベルに
上げる必要があると思います。 >一つに一人よがりになる危険性がある事。
確かにその可能性は大きいと思いますが、全体を考えた場合には、
その方が利益があると思います。 というのは、それによって独創的な研究が活気づくと思われるから
です。 また、完全に自閉した環境の方が思考が明晰かつ活発になるという
利点が私の場合にはありました。 私としてはこちらのメリットの方がかなり重要と思われます。
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あらまっ! 投稿者:のぶりん |
知らない間に、こんなに多くの人が・・・。このページはいつも凄いですね。
一般受験生(塾に通っていない現役生)としましては、ロピタルとか、
大学でなきゃ出会いそうに無い名前ですね。確かにド・モアブルは
初め意義が分かりませんでした。昨年講師にきていたおじいさん先生
(京大出身)によると、数Uでこれの係数を利用して問題の講義をして
いました。確か三角関数だったと思います。
議論のこと。 大切でしょう。今、友達うちでは、古典力学排斥運動が慎ましやかに
行われていますが、相対性理論をみんなで勉強して、語り合ったりして
います。あいまいな知識が無くなるのでいいとおもいます。
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トホホ…(苦笑) 投稿者:Yunoki |
いやぁ、ABさんもphononさんも凄いですよねぇ…そう思いませんか、高校生
、浪人生、及び私と同じようにできの悪い学部生の皆さん…ん?できの悪いの
は俺だけか(泣)? 量子も統計も(統計の話は誰もしてませんが(笑))私にとってはとても難しい
です(苦笑)。学部4年にもなって、未だに『???』ってことが沢山あります(
苦笑)。今日も友人と議論してて固まってしまいましたし…(苦笑)。
あ、ちなみに、私は議論(ディスカッション)の話に関してはphononさん派で
す(笑)。かのファインマンが言った言葉の中に『学部一、二年生に教えられな
いなら、本当に自分がそれを理解してるとは言えない』というのがあるという
のを何かの本で読んだことがありますが、人に説明するのって例え一通り理解
してても難しいんですよね。って事で、再確認みたいな意味でもディスカッシ
ョンって有益だと思うんです。え?おのれのようなアホに意見されたくない?
失礼いたしました(泣)。
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盛り上がっていますね。 投稿者:Sei |
物理塾講師のSeiです。2度目です、よろしく。
今日とある塾にて「等速円運動」の初講義をしてきたのですが、加速度の大きさを求めるのに余弦定理を使ったり、
とりあえずは微分を使わない前提にて講義したんですね。
でもこれ、高校物理でも微分使わずにはいられないんですよやっぱり最終的に。
そうすれば単振動の公式にしても、丸覚えしなくてよくなるから(変位xだけ覚えて、あと微分すりゃいいわけで)。
それでですね、教える身からすると、やっぱり理系科目にも記憶力は必要です。
何しろ、いちいち頭の中に図を描いてあれこれ・・・で、やっと出てきたぞ「v=rω」、、なんてやってたら、入試では時間がありゃしません。
それに、座標平面での2点間の距離とか、いちいちピタゴラスまで戻ったりしてないですよね、誰も。
一度その成立過程を把握・理解した(世に認知されている)公式は、もう丸暗記して公然と使ってよいものなはずです。
で、理系ならば実際問題「丸暗記」にならないはずですよ。理路整然と形作られたもののハズだから。
有機化学でも、多少はそういう要素があるはずだと思います。
ヒトにとっては、体系的なもの、ストーリーのあるものほど記憶し易いんですよ。機械ならばただビット数が上がるだけでムダなんでしょうが。
それから、そういう理論体型に「感動」できるセンスがあればなおいいです。
そういう感動によって記憶力はぐっと増します(なかなかそういう生徒はいませんが)。
それにしても、なんで高3生に弧度法から教えねばならないのかという。
かつての「基礎解析」のように、三角関数が出てきた時点で導入すればいいものを。
物理TBでは波動もやるんだし。そもそも単振動(物理U)が波動(TB)より後になっていることが変だったりもするんだけど。
>オイラー・ロピタルその他 私はそう数学を教えているわけではないですが、私なら教えずに済ます努力をすると思います。
記憶の負担を減らす意味もありますが、それを持ち出すまでもなくいろいろな別解が存在するものですから、
一般の受験生にはそういう幅の広さを身につけて欲しいんですよね。
これって矛盾するように思われるかもしれませんが、オイラーとかは特定分野突き詰め過ぎなような気がするんです。
それをやっている時間をまわして、もう少しは重視されるべき分野が他にあるでしょう、という気がするんです。
ところで、「複素数平面」はまた消えてしまうんですよね、高校数学から(2003年)。
私のように履修していないのに教える羽目になってる者としてはけっこう助かりますが(ずるいっ)、
それと、確かにこれをやるよりは一次変換でもやったほうが、って気はしないでもないです。
あと、実社会で相当使われてるのではないかという「統計」がなぜ今現在軽視されて(ごく一部の人しか履修しなくなって)しまってるのか。
ちなみに私、剛体の力学やレンズも、自分は高校でやってなかったのに教えてたりします(レンズは大学でもナシでした)。
それで、その話に関連して。 >>ABさん >そのためには、まず高校の数学のレベルを大学の教養程度まで上げる
必要があると思います。 しかし、そのためには中学の数学のレベルを高校の数学のレベルに
上げる必要があると思います。 って、思っちゃいますよね、やっぱり多少とも。ところが、世の中は逆に進んでいるんですよねぇ。
その「複素数平面」のなくなる新課程では、たとえば、
中学から高校に「一次不等式」「二次方程式の解の公式」とかが移るんだそうですね。これじゃ、高校数学が圧迫されるばかりですよぅ。
物理では、「仕事」が高校に移ります。まあこれは、「キログラム重m」なんて単位が出てこなくなるのならまあいいけど。
専門でないので大きいことは言えませんが、
生物では「遺伝」はまた高校に戻るみたいだけど、遺伝子工学関係は今後もっと身近になってくると思うのですがねぇ。
地学では「日本の天気」が高校へ移るのだとか。そんなのテレビで天気予報見てりゃ中学生にも楽で興味持ってもらえると思うのになぁ。
長々、失礼しました。
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議論に有効なもの 投稿者:AB |
数学や物理の場合には、数理的理解でも十分ですが、それだと自分が分かって
いても相手に説明することができないということにもなりますね。
この意味では、その為の議論というものが必要になってくると思います。
しかしそのためでしたら、哲学書を読むことはかなり有効であると思います。
ただあまりにも難解なものは避けるべきでしょう。
(これは個人差がありますが。) 私の場合には、デカルトがかなり良かったと思っています。
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(無題) 投稿者:AB |
理論の有効性からいえば、ニュートン力学は捨てられません。
例えば低速度で運動する剛体の運動を相対性理論でやろうと
するのは馬鹿げています。(あまりにも計算が面倒になるので)
しかしだからといって、いきなりニュートン力学が絶対的に正し
いとするような導入の仕方はかなり問題があると思います。
それは量子力学や相対性理論の文脈の中で理解されるべきものだ
と思っています。 これからは、多くの人にとって相対性理論や量子力学の概念が
必要になってくるように思われます。 ですから、教育の高等化はあっても、その逆はないと思います。
それは原始時代に戻ろうとするようなもので、あまりにも不毛
という気がします。 問題となっているのは、生徒における理解能力の低下なのでしょう。
それはいずれは解消されるような気がします。
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科学教育は、高度化するのか? 投稿者:野田 |
野田です。なんか凄いことになっていますね(^^)。
僕もなんか書こうっと(^^;。 (身の程知らずな私)
phononさん > 表面物理は今、注目度が高いのではないですか?
> 将来性があると聞いています。 そのようです。いや、自分の興味があることしか勉強しなかったので、
周囲の状況が良く分からないのです。これでは、研究者失格なのですが・・・。
まあ、今は自分のすべきことを頑張るしかないですよね。
ダメだったら、止めりゃ良いんだし・・・。ま、愚痴はさておいて、
のぶりんさん > 友達うちでは、古典力学排斥運動が慎ましやかに
> 行われていますが、相対性理論をみんなで勉強して、語り合ったりして
> います。あいまいな知識が無くなるのでいいとおもいます。
たしか、のぶりんさんは浪人生ですよね?いや、凄いですね。
相対論の勉強会ですか。やる気のある仲間と議論できるのは、とっても良いこと
だと思いますよ(^^)。僕も見習おうっと(^^;。
でも、古典論排斥とは行き過ぎでは?ABさんも仰る通り、十分低速ならば、
ニュートン力学は非常に有効な理論だと思いますけど?
まあ、化学専攻だから詳しいことは良く分かりませんが(と逃げをうつ)。
ところでABさん、 > これからは、多くの人にとって相対性理論や量子力学の概念が
> 必要になってくるように思われます。 とありますが、どうしてそのように思われたのでしょうか?
私には、逆のように思われて仕方ないのです。
なぜなら、多くの人が触れる科学は、趣味か製品開発等の実用面で
使用されるものに限られているように思われるからです。
趣味で科学を学ぶ人は、相対論や量子論に触れることもあるのでしょうが、
そうでな人にとっては、様々な科学知識は最新機器の中でブラックボックス化され、
良く分からないものとなっています。 今後、"人にやさしい技術"として、このブラックボックス化はさらに
進むと私は考えています。ですから、 > 教育の高等化はあっても、その逆はないと思います。
というのは、一部の人に対してだけであって、その他大勢の人には
隠されてしまうのではないかと考えています。
この考えは、いかがなものでしょうか? なにはともあれ、こうして他人の意見が聞けるのは良いことだと思います。
議論(〜会話)をするのは、私は大好きです(^^)。もっとも、議論〜会話と
思っているから、いまだにゼミでボロ雑巾になるのでしょうが・・・。
ちなみに、私の好きな哲学関連の著者は"西
研"と"竹田 青嗣"です。 ものすごく平易な文章で、初心者には取っ付きやすいものだと思います。
興味ある方は、是非ご一読下さい。(宣伝になってしまった(^^;。)
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少なくとも日本においては… 投稿者:Yunoki |
ども。 なんかどっちかって言うと、『これからの教育論』みたいな話になって
ますね(笑)。 私も野田さんの意見に賛成(同感)です。理系離れの進む今の日本社会で
『今後は一般の人にも科学が身近になる』とは少々考えがたいと思います。
確かに、技術としての科学(いわゆる科学技術とか言うやつですね)は今以
上に身近になっていくでしょうが、その内『made
in Japan』の文字を見 ないようになる日もそう遠くないかもなって思います(別に工場が全部海外
になるとかいう話じゃないですよ…念のため(笑))。確かに不景気の影響で
理系帰りと言われる現象が見られたりするようですが、単に就職のためであ
って、『よし、俺が新しい物を作り出してやる』という意気込みのある人は
少ない様に感じます。それに、理系と言っても工学系なので・・・。第一、日
本のシステムの上に立ってる人達(要するに政治家と官僚)の多く(と言うよ
りほとんど全員と言うべきですかねぇ)は文系人間なわけですから、科学教
育の話をまともに考えられるとは思えないんですが…。
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(無題) 投稿者:AB |
まぁ、これは予想でして、それほど根拠があることではありません。
しかし現状のように多くの人が科学に「無知」である状況からは、
いずれ変ると思っていますし、変るべきだと思っています。
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(無題) 投稿者:野田 |
野田です。 ABさん > 現状のように多くの人が科学に「無知」である状況からは、
> いずれ変ると思っていますし、変るべきだと思っています。
そうですね。それには同意見です。 しかし、
> (Yunokiさん) > なんかどっちかって言うと、『これからの教育論』みたいな話になって
> ますね(笑)。 そうですねー。えらく、掲示板の主旨から外れてしまったようだ(^^;。
みなさん、申し訳ないです(^^;;;。
|
思う事 投稿者:phonon |
こんにちは。すごい話し合いになってますね。^^
ABさんへ 独創的な研究は可能であれば素晴らしいのですが、僕の気持ちはそこにありませ
ん。ないと言うと語弊がありますが、僕が思うのは他の人達が積み上げてきた事
の上に、さらに何か積み上げるという地道な、ほんとに地道ですがそういう作業
が僕の気持ちの中にあります。その上で、いくつかの独創的な論文があればいい
と考えています。そういった論文は、ねらってできるわけではないでしょうし、
限られた時間の中で結果を出す事を求められますから。
それと、今の社会で研究職に就く事は非常に困難であり、研究を飯の種にするの
であれば、大抵は何かグループの中で仕事をする作業の方が多いはずです。です
から趣味で行う事であれば可能だと思いますが、生活がかかっているならそうは
言えないと思います。もちろん、一人で作業をさせてくれるような環境を提供す
る組織があれば別なのですが・・・。工学系だと需要もある程度はあるでしょう。
>数学や物理の場合には、数理的理解でも十分ですが、それだと自分が分かって
>いても相手に説明することができないということにもなりますね。
自分がわかっていて、他の人に説明できないという事は考えられないと思います。
それはわかっていないという事だと思います。他の人から、これこれはどういう
意味?と聞かれて説明できないのではわかっているとは言えないのではないでし
ょうか?もちろん、そういう場合もある事は否定しませんが、それはよく起こる
事であってはまずいです。分かっている人は説明もうまいです。よく言われる事
ですが、「プレゼンテーションが下手で優秀な研究者はいない」という事です。
例外もいくつかはあると思いますが。もし、ほんとうに物理学の本質を押さえた
理解を本人がしていて、尚且つ説明が相手にできないのであればそれは例外だと
思います。分かっている人は説明をするときに、どこが重要で、また重要でない
か強弱をつけたり、必要に応じて取捨選択したりできますが、分かっていない人
には無理です。それは聞いている方からすれば説明できているか、そうでないか
の分かれ目だと思います。講義のうまい先生ってそんな感じじゃないですか?
|
教育に関して 投稿者:phonon |
ABさんへ > 現状のように多くの人が科学に「無知」である状況からは、
> いずれ変ると思っていますし、変るべきだと思っています。
そうですね。僕が思うのは、マスコミの報道に煽られて思い込んで
しまう事に一つ問題があると思います。例えばテレビ等で原子力に
関して事故の話ばっかりしてればみんな原子力は悪と思うでしょう。
どれだけ貢献しているのかとういう事は僕はテレビであまり聞いた
事がないです。というかあったかな。。今テレビないし。(笑)
YUNOKIさんへ >第一、日 >本のシステムの上に立ってる人達(要するに政治家と官僚)の多く(と言うよ
>りほとんど全員と言うべきですかねぇ)は文系人間なわけですから、科学教
>育の話をまともに考えられるとは思えないんですが…。
数学の時間を削減する話は、いろんな分野の人が集まってます。それこそ、
漫画家とか家庭科の先生とか・・。(^^;) 数学の方は反発されたようですけどね。多勢に無勢です。削減される方向
になったわけですよね・・。 |
数理的理解 投稿者:AB |
例えば、ベクトル解析のrotは数式的に定義されているだけで、
その意味は分からずとも計算はできるのですが、果たしてそれ
はどういう意味のものなのかという問題があると思います。
また、数学者の人の中にも方程式の意味は分からなくとも、
それは解くことが可能でしょう。 それは数式の意味を知っているかどうかとは無縁ですね。
その意味で、数理的には分かっているが、相手にはうまく説明
できないことがあるということです。 このことは、量子力学の場合にも当てはまるのではないでしょう
か。 数式というのは抽象化されたものですから、それへの意味の対応
は一意的に決まっているわけではないといえます。
その辺りの任意性があることから、相手への説得ということもか
なり難しくもなったりします。 なお、プレゼンテーションが上手になる為には、必ずしも相手と
の議論は必要ないと思われますが。 自分がよく理解しているならそれが可能なのではないでしょうか。
もちろん、ある程度それについて訓練した方が良いでしょうが。
|
わかりました 投稿者:phonon |
ABさんへ ABさんの言う「分かる」という事と、僕の言う「分かる」の間に
は大きな隔たりがあります。その相違が意見の不一致を生んだと思
われます。僕はABさんの定義した数理的理解の意味での「分かる」
は問題にしていませんでした。分かりました。
>なお、プレゼンテーションが上手になる為には、必ずしも相手と
>の議論は必要ないと思われますが。 大抵の人にとっては必要だと思います。何故なら、話をする事で、
自分の間違いに気がつき、そして、より理解を深める事ができます
から。少なくとも僕には必要です。技術自体を問題にした場合に
は、確かに議論というよりも、人前でフォーマルな話をする訓練
を積む方が有用だと思います。
|
議論の必要性 投稿者:AB |
>>なお、プレゼンテーションが上手になる為には、必ずしも相手と
>>の議論は必要ないと思われますが。
>大抵の人にとっては必要だと思います。
>何故なら、話をする事で、自分の間違いに気がつき、・・・
というよりは、相手に理解されるにはどう言うべきかが分かるという
ことではないでしょうか。 間違い自身については、自分でよく反芻すれば、それを無くすことが
可能と思われますが。 もちろん、よく知っている人と議論した方が間違いに容易に気づくと
いう利点がありますが、それだと他人に依存的になってしまう気がし
ます。できれば、全てのチェックを自分で出来るようになることがベ
ストであると思われます。 もちろんあまりよく知らない場合には、他人に聞く方が早いという
ことが言えます。 しかし、それについてよく知るようになると、今度は誰からも意見
を聞くことができない事態になると思います。
そうなった場合には、自分しか頼ることができないことになると思
います。それに多くの場合、面倒なことというのは、大抵の人が
嫌がると思います。ゼミとかですと、皆が一生懸命やったりします
から、自分の意見に対してさまざまな意見を言うということがあり
ますが、一般的状況ではそれは難しいように思われます。
それよりも、私が危惧したいのは、独自の研究をする場合には、
他の人はそれに対して建設的であるよりは批判的となることです。
つまり、それは無理だとか、そんなことは間違いだと言いがちと
なります。 まぁ、このことについては、両方が必要であると言えます。
つまり、自分だけで深く思索するということと、他人とよく議論
することが必要と言えます。 議論の必要性は私も否定するものではありませんが、自分一人で
十分に思索することはそれ以上に重要なことだと考えています。
(以上です)
|
Re 議論の必要性 投稿者:phonon |
こんにちは。 >間違い自身については、自分でよく反芻すれば、それを無くすことが
>可能と思われますが。 自分の間違いを正し、修正するというのはとてもたいへんな作業です。
人間には有限の時間しか与えられていませんから、他の人の意見を聞
く事は非常に重要な事だと僕は思います。自分一人でずっと悩み続け
て、結局何もできなくなったら困りますよね?もちろん、ABさんの
言われる通り、自分で考える力というのも非常に大切だと思います。
>しかし、それについてよく知るようになると、今度は誰からも意見
>を聞くことができない事態になると思います。
非常に特殊な仕事をしている場合はそうかもしれないですが、一般に
言って、同じような研究をしているグループは数多くあります。
また、近い分野の方からも違った視点で意見をもらえればそれはプラ
スになると思います。所詮人間のしている事です。すべての分野に精
通する事は不可能です。例えば、理論家が実験家から貴重な意見を得
る事は十分に考えられますし、その逆も有り得ます。また、そうでな
くてはいけないと思います。 >それよりも、私が危惧したいのは、独自の研究をする場合には、
>他の人はそれに対して建設的であるよりは批判的となることです。
>つまり、それは無理だとか、そんなことは間違いだと言いがちと
>なります。 無意味に批判する人は問題外ですが、そういった批判をくれる人と
いうのは貴重だと思います。
|
(無題) 投稿者:AB |
>自分の間違いを正し、修正するというのはとてもたいへんな作業です。
もちろん物理などのように難しい場合には、自分でよく理解することは難しい
かもしれません。 ただ何でも他人に聞くという姿勢をもってしまいますと、自分でよく考える
ということをしなくなると思います。それが一番の問題ではないかと思います。
自分でよく考えたり、調べたりした後でどうしても分からないという場合に
だけ聞くということが、私としては時間がかかったとしてもベストであると
考えます。 私としては安易に他人に聞くという姿勢に対しては批判的な意見を持っています。
もちろんこれは考え方の問題にすぎません。
どららが正しいかということはいえないでしょう。
phonnonさんとしては他人と議論した方が理解が容易ということですし、それは
それで効率的な考え方なのでしょう。
|
ABさんへ 投稿者:phonon |
こんにちは。 >私としては安易に他人に聞くという姿勢に対しては批判的な意見を持っています。
>もちろんこれは考え方の問題にすぎません。
(^^;) どうしても伝わらない・・(汗) 安易に人に聞くというのは、僕もまずいと思います。その意味ではABさんの
言われる事に同感です。 僕が言っている事は、一人で考える事はもちろん、重要だけれどもそれと同じ
か、もしくはそれ以上に他の人の考え方に触れる事は重要だと言う事です。そ
れは、何度も言いましたが、自分では見えていない所を発見できたり、異なっ
た物の見方を知る事ができるからです。以前、僕もABさんと同じような考え
方をしていました。でも、一人前とは言えませんが、院生として自分の仕事を
していく中で、discussionの重要性を認識したという事でしょうか。正直、大
きな大学に在籍しておられて、ドクターの方等に貴重な意見がもらえる立場に
ある院生の方はうらやましいですよ。僕の場合先生をのぞけば、ほぼ一人で作
業をしていますから。情報というのは、勝手に入ってくるものではありません
から、自分で仕入れるしかないんです。それを書物から仕入れるか、同じよう
な研究をしている先輩もしくは同僚から仕入れるかというのは、共に重要な事
だと思います。ABさんも何も情報がなくて研究はできないですよね?一人で
と言っても、書籍を利用されるでしょう。人から情報を仕入れた事がそのまま
実になるわけではありません。やっぱり、それを自分であれこれ考えて理解し
なくてはいけないわけです。講義で先生の話を聞いていてもさっぱりわからな
いですよね。やっぱり、後から自分で考えるわけです。そして、先生の所に講
義後でもここはこうじゃないのか?とか聞いてみるわけです。もちろん、人に
よってどこにウエイトを置くかは違うとは思います。あまり偉い方なので、僕
なんかと比較してもしょうがないですが、アインシュタインやハイゼンベルク
だって、手紙という手段で議論していますよね。時々、集まってああだこうだ
って言ってますよね? ちょっと話の方向がプレゼンテーションからは脱線したような感もありますが、
discussionについては僕の言いたい事はそういう事です。
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phonnonさん 投稿者:AB |
アインシュタインとか既に一流の人ですと、自説を相手に認めさせる為の
議論になっていると思います。その意味では、議論の目的が変ってしまっ
ているということが言えるのではないでしょうか。
やはり最終的には他人に認められなければ意味をもたなくなってしまいます。
その意味で議論や説得というものが不可欠になりますね。
もちろん、自分の誤りを正す為や理解を深める意味での議論も有用であると
思っていますが。 >一人でと言っても、書籍を利用されるでしょう。
ええ、それ以外に知識を得ることは難しいですね。
例え一人で全て考えることができるようになったとしても、
書籍からの知識や理解があって初めてなされるものでしょう。
>講義で先生の話を聞いていてもさっぱりわからないですよね。
そうなんです。これはおそらく教科書に問題があると思っています。
いろいろと探せば、自分にぴったりのものが見つかるように思います。
それでもやはり3,4冊くらいは参照したりしますが。
結局、基本的方針には2つの方法が存在すると考えています。
どちらに比重を置くかはその時の状況によって変ってくると思います。
ということで私としてはひとまず落着したいと思いますが。
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おひさー 投稿者:のぶりん |
ABさんへ アインシュタインについての事で少し書かせていただきたい事があります。
それは >アインシュタインとか既に一流の人ですと、自説を相手に認めさせるための
議論になっていると思います。 ということです。彼は大学を出てすぐのときベルンの特許局に勤めて
いました。そこにはベッソーという優れた討論相手がいました。彼は
相対性理論の誕生に重要な役割を果たしたそうです。またアインシュタインは
オリンピア・アカデミーと言うサークルを作っていますが、ここでの二人の友、
ハビヒトやソロヴィヌとの討論も相対性理論誕生の重要な役割を果たして
いるそうです。だから私の愛するアインシュタインを嫌なじじいみたいに
かかないでね。 野田さんへ 微妙なんです。2年ほど前、はじめて高校化学を習いはじめたとき、
ちょうど同じ内容のことを先生と友数人とで話し合っていました。この先生は
本来は生物教師で、解剖好きなんです。まぁ、話を戻しまして、そのとき、結論として、@口に含む(舌の上で電流流す)、A両端を見て、新品なら綺麗、
古ければ(長時間セットしておいたならば)中の成分の関係で錆びるのが
早いため、多少の汚れが見える、とのことでした。言うほどの事じゃないんで
す。どんな些細な事でもいいってありましたしね・・・。それと感覚で分かるって
言うのも本当です。新品だと、格闘漫画じゃありませんが、なんとなくオーラ
みたいなのを感じます。変な宗教団体には入っていないので、アシカラズ。
|
のぶりんさん 投稿者:AB |
>だから私の愛するアインシュタインを嫌なじじいみたいにかかないでね。
いやいや他人を説得するということは極めて重要です。
その能力があったからこそ、アインシュタインは世に認められたといえます。
(ちょっと勘違いされているようなので書きました。)
なお、のぶりんさんの言っていることは知っています。
ただ、そういう議論だけで相対性理論ができたとは考えられません。
やはり、彼自身での深い思索があったからこそ可能であったといえます。
「嫌なじーさん」という意味ではボーアの方が該当するでしょう。
しかしそうだしても、彼の貢献があったからこそ、量子力学が発展した
のだと言えます。 全てのことに対して完璧さを求めるのは、一種のエゴイズムといえますね。
なお、アインシュタインに関する本では、アブラハム・パイスという人が
書いた「アインシュタインの人と学問」が御薦めですね。
|
ABさんへ 投稿者:phonon |
こんにちは。 >アインシュタインとか既に一流の人ですと、自説を相手に認めさせる為の
>議論になっていると思います。 そうですか。僕が思うには、対話を行うというのは、ただ説得する事が目的
でないと思います。自分の意見は他の人にどう映るのか?という気持ちはあ
ると思いますよ。物理をしているならば、説得と言われても、自然がすべて
ですからね。自分では正しいと思っていても、ちゃんと否定できる根拠があ
れば、駄目なわけです。もちろん、哲学性の高い話になると難しいと思いま
すけど。でも、自然と言ってもそこには人間性も当然介在するわけで、完璧
な理論は難しいかもしれません。理論は人間の理性が作り出すものだと思い
ますから。勝手にできるものではないですし。
>どちらに比重を置くかはその時の状況によって変ってくると思います。
>ということで私としてはひとまず落着したいと思いますが。
僕ももうそろそろひとまず落着したいです。(A^^;)
長々とどうもでした。m(_ _)m
|
大学院学生は大学生 投稿者:particle |
アインシュタインですか、彼の人間味についてはあまり知らないですが。いい人だったんだろうか?
ニュートンがいい人ではなかったことは知っているのですが・・・。
先日大学院生の先輩に「先輩が大学生の頃は・・・・」と尋ねると
「いまでも大学生だけど・・・。」とまず答えが返ってきました。
一瞬「えーそうなの。」と思いましたが先輩はこうおっしゃった。
"そもそも世間というものは大学院が大学の上の機関と考えているようですが、それは本来違う。
大学院とは学部と同じく大学に属する機関で正確には大学院は学部の上の機関でしょう。
世間ではあまりにも学部=大学みたいな観念が浸透しているものだからこのような混同が起き
てしまうのも無理はありません。でも本当は大学院は学部と同じ単位の機関で、決して大学と
同じ単位ではない。大学院も学部も大学なのです。それに院という漢字は「〜を終えた」という
意味だから大学院というと大学を終えていくところみたいな変な意味を持ち理にかなわない。
正しくは学部院といったほうがよいでしょう。
その点英語はきちんとしている。英語では学部を「school」大学院を「graduate
school」 と理にかなった表現をしている。大学院生や学部生もgraduate
undergraduateと使い分けてい て非常に合点がいく。だから大学院生は大学生なのだーーー!"
「そんなのどーだっていいじゃん。」 長々として説明の感想はこうだった。でもしいていうとやっぱ大学院生も大学生だと
いうのがよいとほんの少しだけ思った。というのも自分が大学院生になったとき
なんとなく大学院生とよばれるよりは大学生と呼ばれた方が気分がよいからだ。
みなさんは大学院生=大学生派?それとも逆?
でも結局のところ「そんなのどーだっていいじゃん。」
と思う。 なんか意味のない投稿だった。 最後に・・・。受験生のみなさんがんばってください。
|
phonnonさんへ 投稿者:AB |
科学といっても、実際には理論的に導出できないこともままある
わけで、その場合には理論的に立証するというよりは、説得に近く
なると思います。 また、理論もただ一つだけに限定されるわけではないので、その
意味での恣意性みたいなものがあり、その場合にもやはり説得的
になるのではないかと思われます。 ただ、物理の場合にはかなり理論的や実験的に示せることが多い
ことより、説得ということよりもいかに正確に式を導くことがで
きるかという能力が必要といえますね。 >長々とどうもでした。m(_
_)m いえいえ、こちらこそ長々どうもでした。
|